青郊窯の技術

絵の具開発

初代青郊に始まり2代青郊、そして現在の3代青郊に共通することですが、青郊の独自性の源は九谷焼和絵の具の研究開発にあります。
いち早く食品衛生法の基準をクリアする無鉛の和絵具の開発を進めたことにより、従来は花瓶、酒器、湯呑といった外側に絵付けが施された商品が中心であった九谷焼の地図を変えたのは
この無鉛の和絵具の開発が大きく寄与したことは言うまでもありません。
それを成し遂げる事で豆皿を始めとするいわゆる今日の”テーブルウェア”としての九谷焼の歴史が始まりました。

職人の手仕事が可能にする高いクオリティ

「転写シートを貼る」と言ってしまうと、簡単な作業のように思われがちですが、世の中には転写やシールを謳ったカジュアルでお手頃な陶磁器が存在する中、青郊が産み出す転写紙は他とは異なります。もしかしたら絵付け職人さんが盛るよりも厚みがある転写紙を、和絵具の特性を活かして、比較的容易なお皿や切立のマグカップといった直線的な商品よりも曲面がきつい急須や汁次、飯碗へといったお皿や貼り付けを可能にしていくのは長年に渡り培った、熟練の技術とノウハウの成せる技なのです。
40数名の転写紙職人さんが、一つ一つ丁寧に貼り付けることでつなぎ目のわからない手描きのような上絵を表現しています。

版下作製の工夫と中間色の表現の追及

現社長の3代目青郊は無鉛和絵の具の不具合の改良を進め、
その間に4~5回の重ね刷りをする和絵の具の版下に着目し、
基本である九谷和絵の具の5色以外の中間色を表現する事を可能にしました。

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